物理学者と言えば、幼い頃から神童と呼ばれ、バリバリに数学ができる人というイメージがあると思います。

しかし、そのイメージを覆す物理学者がいます。

“マイケル・ファラデー”

ファラデーの法則、ファラデー定数などに名を残した偉大な化学者、物理学者です。

その科学者のイメージを覆すファラデーの生涯を見てみましょう。

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ファラデーの生い立ち

マイケル・ファラデー” は、あのアインシュタインが、ニュートン、マクスウェルと並べて、肖像画を飾っていたほどの偉大な科学者です。

そのファラデーの生い立ちはどのようなものだったのでしょうか?

ファラデーの家庭

ファラデーは1791年にロンドンで生まれました。

父親は鍛冶屋の見習いをしながら、4人の子供を育てるという決して裕福ではない生活でした。

ファラデーは、学校にもほとんど通うことなく、14歳で製本屋に徒弟奉公します。

科学者への関心

ファラデーは製本屋で多くの本を読み、科学に興味を持ち始めます。

そして、街の若者を集めて科学の話や実験を行うサークルに参加するようになりました。

そこで、科学への興味と知識が増えていきます。

そして大きな転機になったのが「英国王認会館」で行われていた連続講義のチケットを手に入れたことです。

このチケットは非常に高価なものですが、製本屋のお得意さんだった “ウィリアム・ダンス” が、ファラデーの勉強熱心さに感心してプレゼントしたのです。

そこで有名な化学者 ”ハンフリー・デービー” の講義を聞くことができたのです。

科学者への道

ファラデーは20歳になり、奉公が終わって製本職人として独り立ちすることになりました。

でも科学への憧れは収まりません。

そこで、デービーの講義の内容に自分が調べたことを書き加えた講義ノート(300ページ)を立派な本に製本してデービーに送り、デービーに助手にしてもらうように頼んだのです。

しかし、デービーは講義ノートには感心したものの、助手としての採用はできないと返事と返事をしました。

しかし、デービーが実験中の事故で目を負傷したことから秘書が必要になり、ファラデーが秘書として採用されます。

その後、デービーの助手が喧嘩を元に解雇されるという事件が起きます。

ファラデーはその後釜として念願の助手になることができたのです。

こうして、ファラデーは科学の世界にかかわることができるようになりました。

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ファラデーの活躍開始

科学の世界にかかわることができたとは言っても実験助手に過ぎず、デービーの指示通りに実験を行うという立場です。

でもそこからファラデーの快進撃が始まります。

主な業績を順不同で並べても、ベンゼンの発見、炭素塩化物の発見、反磁性体の発見など、ノーベル賞級の発見が続きます。

特に電気分解のファラデーの法則の発見は、現在の電池産業を支える電気化学の基礎になるものです。

電磁気現象

ファラデーの業績を語る上で欠かすことができないのが、電磁気分野での業績です。

ファラデーは、1821年に電磁回転の実験を成功させ、世界初のモーターを作り上げました。

電気を流すことで物体が動く」という当時としては画期的な結果でした。

この実験を多くの物理学者が電磁気現象に興味を持って研究を始め、電磁気分野が大きく発展することになります。

これでファラデーの名前が広く知られるようになりました。

その後も電磁気現象の解明につながる独創的な実験を続け、電磁誘導を発見します。

電磁誘導は、現在のモーター、発電機、変圧器など、電気機器には欠かせない原理です。

ファラデーはなぜ独創的な研究ができたのか

発電機

電磁気現象を研究する物理学者の多くは数学を使って現象を解明しようとしていました。

しかし、ファラデーは基礎教育を受けていません。

現在の日本の学歴でいえば小学校卒で、義務教育も受けていないことになります。

そのため、数学がよくわからなかったのです。

でも頭の中にイメージがあったようです。

「そのイメージに沿えばこのような結果が得られるはず」と考えて、それを実験で証明するという方法を採っていました。

それが、他の学者には思いつかないような独創的な結果をもたらしたのです。

ファラデーは、電磁気的な力が電場、磁場として周囲の空間に伝わるイメージを持っていました。

そして、電場と磁場がお互いに影響し合い波のように伝わる性質があって、光はその波の一種という考えすらもっていました。

現在の電磁気学そのものです。

ファラデーは時代を大きく先取りしていたのです。

マクスウェルの仕事

ジェームズ・クラーク・マクスウェル” は、ニュートン、アインシュタインと並んで称される偉大な物理学者です。

マクスウェルの悪魔の提唱者としても知られている人物です。

≫≫マクスウェルの悪魔とは何か? わかりやすく簡単な説明に挑戦してみる

マクスウェルは、ファラデーが大発見を続ける元になっている考えに興味を持っていました。

そして、ファラデーの頭の中にあるイメージをひとつひとつ数式化していたのです。

それが、後の電磁気のマクスウェル方程式につながり、電磁気学が完全に定式化されたのです。

ファラデーは数学ができなかったのか

ファラデーは、数学ができなかったと言っていいのでしょうか?

Wikipediaに載っているマクスウェルの言葉を引用してみましょう。

マクスウェルは、ファラデーが高水準の数学者にも匹敵する思考の持ち主であり、将来の数学者はファラデーの業績から様々な貴重な方法を引き出すことができるだろうと述べている
Wikipedia

マクスウェルは「ファラデーは定式化ができなかっただけで、その思考自体は高度に数学的なものだった」と言ってます。

同時代を生きた天才がそういうのですから、誰も否定などできません。

ファラデーの頭の中には、早くからマクスウェル方程式と等価な数学的イメージがあったのかもしれません。

このような数学的なセンスもあるということでしょう。

クリスマス・レクチャー

イギリスの王立研究所では、1825年から毎年クリスマス・レクチャーという子供を対象とした科学講座が開かれています。

ファラデーは、1829年に初めてクリスマス・レクチャーの講師を務めたあと、19回も講師をしています。

おそらく、ファラデーの生い立ちがそうさせたのでしょう。

特に、1851年から1860年までは10年連続で講師を務め、その集大成である最後の講義は、「ロウソクの科学」として子供たちに科学の面白さを伝える代表的な書籍として今でも読み継がれています。

2016年にノーベル生理学・医学賞を受賞した大隅教授が科学の道を志すきっかけとなった本としても注目されました。

自分が子供のときに科学の楽しさを知ったのと同じように子供に科学に興味を持たせ、ノーベル賞受賞者まで輩出したのですから、ファラデーも喜んでいるのではないでしょうか。

ファラデー (著), 三石 巌 (著, 翻訳)

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