あなたは、文系ですか? 理系ですか?

一口に文系、理系といっても、色々なレベルがあるはずです。

では文系と理系で同一レベルの人を比較するような基準はあるのでしょうか?

かつて、イギリス人学者 ”チャールズ・パーシー・スノー” が文系と理系のレベルを比較して大きな議論になったことがあります。

その比較を紹介して、それを通してスノーが何を言いたかったのか、現在の日本の状況はどうなのか、考えてみたいと思います。

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スノーが考えた文系と理系の教養のレベル

まず、スノーが示した文系と理系のレベルの比較を示します。

第一段階

スノーは文系の初歩のレベルを次のように表しました。

「あなたは、読むことができますか?」

イエスなら、文系の入門編クリアです。

これに相当する理系の初歩は

「質量、加速度を理解していますか?」

というものです。

イエスなら、理系の入門編クリアです。

このふたつの質問が同じレベルだと言うのです。

第二段階

文系の第2ステップは、次のように表現しています。

「あなたは、シェークスピアの作品を読んだことがありますか?」

スノーはイギリス人なのでシェークスピアの名前を挙げていますが、国民的な名作を読んだことがあるかという意味合いです。

これに対する理系の第2ステップは、これです。

「あなたは、熱力学第二法則を説明できますか?」

「説明できますか?」というところが鋭いですね。

知っているつもりではダメで、理解していないといけないということでしょう。

≫≫説明深度の錯覚とは? 知ってるつもりになる理由

熱力学第二法則

話が逸れますが、熱力学第二法則について簡単に説明しておきます。

ちなみに熱力学第二法則は、エントロピー増大の法則とも言われる基本原理です。

内容には立ち入りませんが、科学での位置づけについて、イギリスの天文学者 ”サー・アーサー・スタンレー・エディントン” の言葉を引用しておきます。

あなたの理論がマクスウェルの方程式に反するとしても、その理論がマクスウェルの方程式以下であることにはならない。もしあなたの理論が実験結果と矛盾していても、実験の方が間違っていることがある。しかし、もしあなたの理論が熱力学第二法則に違反するのであれば、あなたに望みはない。

新しい理論を作ったとき、それと矛盾することがあってもそれまでの理論や実験結果が間違っている可能性があります。

でも、熱力学第二法則に反している理論だけは勝ち目がないという主張です。

それくらい、信用できる基本原理です。

スノーはどんな人か

スノーが「二つの文化と科学革命」と題して、この比較を示したのは1959年のことで、すぐに大きな議論を巻き起こしました。

この比較がまっとうかどうか自分にはわかりません。

文系、理系の両方の素養を高いレベルで兼ね備えた人でなければ、比較できないからです。

スノーは科学者でもあり、小説家でもあった人です。

科学者としての実績を残した後、挫折を味わい、小説家になりました。

科学者と文学者の両方と交流があり、昼は物理学者と過ごし、夜は文学者と過ごすような生活をしていたようです。

そんな人の言葉だと思えば信ぴょう性が出てきます。

スノーの真意

理系

スノーの著書「二つの文化」の原題は ”THE TWO CULTURES” です。

”Culture”には「文化」だけでなく「教養」という意味もあります。

日本語訳は「文化」になっていますが「教養」とした方が、スノーの主張が理解しやすいでしょう。

科学も教養?

教養のある人と言えば「文学に造詣の深い知識人」というイメージがあります。

当時のイギリスでは、特にその傾向が強かったようです。

でも、スノーは科学も教養だと言いたかったのです。

「二つの文化」「二つの教養」というタイトルはそのことを表しています。

二つの文化の交流

スノーが懸念を示したのは、二種類の文化、教養が、互いに相手を受け入れない態度です。

特に、当時の文化人が科学者を「教養のない人たち」と見下していたことを批判しました。

それに対して、かなり辛辣な言葉を残しています。

「現代の物理学の偉大な体系は進んでいて、西欧のもっとも賢明な人びとの多くは物理学にたいしていわば新石器時代の祖先なみの洞察しかもっていないのである」

西欧のもっとも賢明な人びと(文化人、知識人と言われるような人)の科学知識は「新石器時代の祖先なみ」だとまでいっています。

ですから、文化人と言われる人たちが、

いくら理系でも、教養として古典の名作くらいは読んでおくべき

と言うのであれば

いくら文系でも、教養として熱力学第二法則くらいは理解しておくべき

と反論したかったのでしょう。

そう考えると、文系と理系の比較は少しオーバーな表現にしたのかもしれません。

スノーの願い

「二つの文化と科学革命」を読むと、科学への啓もうの必要性を強く訴えていることがわかります。

少なくとも、文化人、知識人と言うような人は、教養としての科学くらいは身に着けて欲しい、一般の人にも科学を教育する機会を増やしてほしいというのがスノーの願いだったのです。

当時のイギリス

当時のイギリスは、他の国と比べて科学の教育を軽視していたという背景もあります。

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現在はどうなっているのか

現代の日本は(日本以外良く知らないので)、スノーの時代とは変わってきています。

科学に無関心な人は少なくなっていますし、科学への信頼も高くなっています。

スノーの時代のように「理系の人間には教養がない」と文系の人に嘲笑されることはありません。

理系人間にとってはありがたいことです。

スノーの願いは通じたのか?

とはいうものの、スノーが願った状況とは程遠いでしょう。

科学が教養だという考えは一般的になっていません。

文系の人にとって「物理なんて難しくてわからないもの」という感覚が残っていると感じています。

国を動かす人たち、報道に携わる人たち、教育に携わる人たちなど、教養を身に着けておくべき人たちの科学知識は充分でしょうか?

そのような人も、科学なんて難しいものは専門家に任せればいいという態度で、科学の初歩にも踏み込んでいないような気がします。

教養としての科学

科学なんて難しくてわからないもの」という拒否反応を捨ててみませんか。

最近、盛んに言われていますが、科学リテラシーは今後ますます重要になってきます。

でも、それを報道すべきマスコミに科学リテラシーがないというのが現状です。

身を守る程度の科学リテラシーなら、さほど難しくはありません。

拒否反応さえ取り除けば必ず身に付きます。

どうすれば拒否反応を拭えるのかはわかりません。

でも、このブログを通じて、少しでも拒否反応を小さくできるような記事を届けたいと思っています。

科学リテラシーを身に着けた人が一定数を超えると、科学を騙った詐欺まがいの行為は消滅するはずです。

早くそうなって欲しいと願っています。

C.P.スノー (著) S.コリーニ(解説)

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